7月9日憲法調査会(「平和主義と安全保障」のうち「憲法と自衛権、自衛隊」)

     歴史の中でつくられてきた「戦争を許さない」国際秩序 

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<他国への無理解が戦争につながった>
<アメリカ一国主義に追従すべきでない>
<「戦争の違法化」こそ21世紀の方向>

 

 

<他国への無理解が戦争につながった>

宮本岳志君 日本共産党の宮本岳志です。
 まず、三人の参考人の皆さんに私からもお礼を申し上げます。
 まず、植村参考人にお伺いをしたいと思います。
 先ほども、イラクへのアメリカの戦争等々の話、それからイラク支援の立法の議論が交わされました。それで、アメリカの軍事行動を日本が支援する根拠として、憲法前文の「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という、これを持ち出す議論というのがあるわけであります。憲法前文は全体として平和主義を基調としておるわけで、こういうふうに理解するのは非常に問題があると先生も資料でお述べになっておりましたけれども、是非この点について植村参考人のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
参考人(植村秀樹君) 私、実はそのように著書に書いた記憶は確かにございますし、そのように思っております。
 日本はアメリカと密接な関係がある同盟国であります。そのことはもちろん重要なことですから、日本がアメリカを言わば友人として大切にすることは論をまたないというふうに考えております。しかし、だからこそ、そのほかの国に対する理解ということもより重要になるのだというふうに、特にこういう危機的な状況とか悲劇的な事件が起こった場合などには余計にそういうことを慎重に考えるべきではないかというふうに考えております。
 最近、アメリカの元国防長官のマクナマラ氏の本が、翻訳が出ておりますけれども、ベトナム戦争について書いた本ですが、その中でも、相手を理解していなかったということを率直にマクナマラ氏は認めております。それが、相手を理解していなかったということが戦争の惨禍を大きくしたというふうに述べております。もう少し相手を理解する姿勢があればあんな戦争にはならなかっただろうと、そういうふうなことを書いてあります。
 それは、私、先ほど、ならず者国家というような言い方はすべきでないと言ったのはそういうわけでありまして、憲法前文のことに戻りますけれども、他国のことを無視してはならないというのは、アメリカも無視してはならないわけですがイラクも無視してはならないということであります。そういうことをしないで独善的な姿勢で国際社会に臨んだことが、日本があのような戦争をし大きな悲劇を生んだことにつながっているわけでありますから、そういうことを戒める、独善的な態度を戒めるのがあの憲法の趣旨だというふうに考えることができるかと思います。
 そういう意味で、武力を行使するというのは一番最後の手段でありますし、一番最小で済ませなければいけない。最近のアメリカを見ておりますと、むしろ最初に武力を用い、最大限に用いるという傾向が見られますので、その点について日本としても注意をすべきではないかと、そういうふうに考えております。
宮本岳志君 やはりこういったアメリカの行動の背後にいわゆる一国主義、ユニラテラリズムというものがあるということが議論されてまいりました。それで、こういったアメリカの行動様式についてどう見るかということがあると思うんですね。
 先ほど、これは渡辺参考人もアルカイダのような集団は社会的な制裁として行うべきだという御意見もお述べになったと思います。前回のアフガニスタンに対するテロ報復戦争、それから今回のイラクに対する戦争、ここに示されたアメリカの一国主義というふうなものについてどう見るのかということについて、これは植村参考人と渡辺参考人、お二人にお聞かせいただきたいと思います。
会長(野沢太三君) それでは、最初に渡辺参考人からお願いします。
参考人(渡辺昭夫君) これも実は今日出たばかりの「中央公論」に私、書いているところでありますが、確かに今のブッシュ政権、アメリカというかブッシュ政権ですね、ブッシュ政権の中にはかなり、どう言ったらいいんでしょうか、バランスを欠いた考え方をする人が、勢力があるということは確かだと思うんですが、より基底にあるのは、まず第一に、アメリカが軍事力という点で、能力という点において圧倒的な存在であるという事実を否定するわけにいかないだろうと。
 したがって、私が再三先ほどから申し上げているように、国際社会が全体としてまとまって何かをすべきだというときに、アメリカを排除しては意味がないだろうと。別の言い方をすると、アメリカが、おれは知らないよと言って決め込んだら何もできないだろうと。しかし、もう一方、アメリカが余りやる気になって突っ走ってもらっても困るというのも、これも事実ですね。
 したがって、そういうふうに今は確かに九・一一後のアメリカは一種のある特殊な精神状態にあって、我々はついていけないなと思うことはしばしばあるんですが、そこは友人として我々がいろいろアドバイスしなきゃいけないところがあると思うんですが、そのときに、いろいろなやり方があると思うんですね。この間のイラク戦争に関してフランスやドイツがやったようなやり方でやるのか、日本やイギリスがやったようなやり方でやるのかという選択の道はあると思っております。
 先日、私、イギリスのある研究所に行って、日英の安全保障上の協力というテーマの会議に参加いたしましたけれども、もちろんイラク戦争後です、ごく最近です。そのとき非常に面白かったのは、日英会議ですけれども、そこに参加した人が、表現は違うけれども、みんなアメリカが独りで突っ走ろうとする気持ちは分かるんだけれども、それをどうやってよりバランスの取れたものにするのかということが我々共通の課題だねという話をいろんな人が表現を変えながらやったわけです。その点では共通の認識があるわけで、先日、フランス大使が私のところに会いに来たものですから、その話をしたら大変喜んでおりまして、そうか、おまえたちもそう考えているのかと、こういうふうに言っておりました。

 

<アメリカ一国主義に追従すべきでない>

会長(野沢太三君) 植村参考人、お願いします。
参考人(植村秀樹君) 渡辺先生がおっしゃったように、アメリカが張り切り過ぎても困るし、アメリカのいない世界も困るというジレンマに我々、立たされているというふうに思います。
 アメリカの一国主義ということでありますけれども、やはり今のブッシュ政権がやや特殊であって、これをもってアメリカというふうに言ってしまうのは少し行き過ぎる可能性、危険性があるかと思います。その点は少し慎重に考えるべきかというふうに思います。
 確かに、アメリカは世界の軍事費の四割を一国で持っておりまして、軍事力としては質、量ともに圧倒的であります。
 ただ、今のようなやり方で果たしていつまでもつのかということを考えたときに、そのアメリカのやり方に乗って、日本がいわゆる日本の国益を増す方向を考えるというのは余りに近視眼的であって、最終的にはそれは世界にとっても日本にとってもいい結果をもたらさないというふうに思っております。ただ、私はその点は慎重であるべきだと思います。
 今回の件につきましても、イギリス、まあブレア首相は、言わばアメリカを支持することで、ある程度ブッシュ政権の意思決定に影響力を持とうとしたのかもしれませんけれども、結局それはできなかったというふうに言うべきだろうと思います。日本の中でも、いや、アメリカは国際社会を十分重視していると、半年も待ったじゃないかと、国連で論議もしたじゃないかという声もありますけれども、しかしアメリカの軍の動きをずっと見ておりますと、アメリカの軍の戦闘の準備が整ったのはやはり三月ごろですから、結局、初めからそのころやるつもりでいて、それまではお芝居をしていたというふうに考えるべきだろうと思います。したがって、私はブレア首相の考えたことはうまくいかなかったと思いますし、日本が、じゃ一緒にやっても何かいい結果が得られるかということに関しても非常に私は否定的、悲観的です。
 ですから、別の道を何か考えなければいけないところでありますけれども、フランス、ドイツ、あるいはロシア、中国などが幾ら頑張ってもこのような結果になったわけでありますから、そういう道が簡単かと言われると、それも非常に難しいと言わざるを得ません。
 ちょっとはっきりしない答えですけれども、以上です。
宮本岳志君 志方参考人、なかなか志方参考人と私と意見が一致するということはなかろうと思いながら質問するわけですけれども、九条二項が先ほど国語的に分からないとおっしゃいました。九条二項はお読みいただければ極めて明瞭でありまして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、国語的には私は明瞭な言葉だと思っております。自民党委員も先ほどそういうふうにも、中学生にも分かるというふうにも触れられました。
 問題は、この九条二項の下で今や世界有数の軍事予算をつぎ込む自衛隊という存在があると。この現実とこの九条二項との矛盾というものは、これは中学生どころか、大人や最高裁でさえ統治行為だと言って逃げざるを得ない、なるほど分かりにくい現状があるわけですね。志方参考人は自衛隊の、現役自衛官だったときのことを思い出してというお立場でお話が今日ございましたから、自衛隊の立場から憲法を眺めれば、なるほど九条二項というものがそう見えるでしょうけれども、これは同じように憲法の側から自衛隊を眺めても同じように見えるわけであります。
 それで、我が党はその矛盾をどうするかといったときに、やはり憲法九条、憲法の平和主義を貫くべきであると。つまり、自衛隊を解消すべきであるという立場を取っておりますけれども、ただ、それはあくまで国民的合意を得て進めるべきものであって、私どもが仮に政権参加ということがあったとしても、その時期とこの自衛隊の解消という時期との間には時間的な違いがあることは当然だと。そうなりますと、一定期間、私たちが政権に参加した場合でも自衛隊が存在するということを私たちも想定しつつ政治に取り組むということになります。
 自衛隊が憲法違反かどうかということは別として、しかし現時点で自衛隊も憲法をしっかり守らなければならないことは九十九条の公務員の憲法遵守義務からも当然のことだと思うんですけれども。
 そういった、つまり政権が今後替わっていく、例えば野党の政権が誕生する、場合によったら日本共産党が加わる政権が生まれ得るといった場合に、自衛隊がこの憲法というものをしっかり守りながら自衛隊の活動を進めるということが、九条の精神に立ってといったらちょっと分かりにくい話ですが、そういう平和主義ということを自衛隊がしっかり歯止めにしていくということはあり得る話だと私たちは思っているわけですけれども、この辺りについて志方参考人はどのように考えるか、お聞かせいただけますでしょうか。
参考人(志方俊之君) まず、九条二項のことでありますが、陸海空軍と陸海空自衛隊との違いというのは、これはなかなか、これも説明するのが非常に難しいということであります。しかし、我が国の政府はずっと違うと言ってきているわけですから、違うのだと思います。
 交戦権というのは、これも定義によりますけれども、戦いを交えるという、単純に考えれば、例えば我が国の船舶が領海内において相手から撃たれた場合にはこれと交戦せざるを得ません。これをしないでいいというのならば、しないでいいとちゃんと政党で言明していただきたいと思います。
 それから、平和主義を貫くということは私も大賛成でありますし、貫いてきたからこそ我が国は戦争せずに済んできた。しかし、平和主義を貫くというのにはいろんな態様がございまして、街頭に出て旗を振って平和を叫ぶということも重要なことであります。これも必要なことでありますけれども、やはり自衛隊というものを作って、厳然とそこに我が国が主権を守るということを内外に示すということも平和主義を貫く一つであると思います。
 したがいまして、我が国の自衛隊員は憲法を遵守するという宣誓をして入ってきます。それと、命を懸けるということも宣誓しております。我が国の独立と平和を守るということも宣誓しておりますから、その道から外れることはありませんが、我が国の独立と平和を守るためには我が国の海岸にいては駄目だということであります。
 我が国の国益はもう世界じゅうに行っているわけでありますし、我が国はいろんな国に資源を依存しているわけでありますから、例えば今のイラクの問題でも、イラクの国民が困っているとすれば、当然、行ってそこに新鮮な水を、清潔な水を供給するということは、その国のためでもあるし、イラクと日本が仲良くして平和でいくための重要な一つのツールであるということを考えますと、これは一に、憲法の条文よりも、政治が何をするかということを自分でお決めになることが大切なのであると思います。
宮本岳志君 終わります。

 

<「戦争の違法化」こそ21世紀の方向>

(意見表明)

宮本岳志君 今、世界のルールという話が出されましたので、それにかみ合うかと心掛けながらお話をいたします。
 歴史上初めて戦争を制限、禁止した法規というのは、フランスの一七九一年憲法までさかのぼることができます。この憲法は一七八九年に始まるフランス革命を背景に作られたわけであります。フランス国民は、征服を行う目的でいかなる戦争を企図することも放棄し、かついかなる人民の自由に対してもその武力を行使しない、こう宣言をいたしました。
 個人の思想としては、もちろん、十六世紀に平和への訴えを著した哲学者エラスムスを始め、国際平和機構の設立を提唱したサン・ピエール、ルソー、カントなど、戦争の否認を訴えた思想家たちがいたわけですけれども、国家自らが自国の行う戦争を制限する立場に立つということは、さきに挙げたフランス九一年憲法以外には二十世紀初頭までまずあり得ないことでありました。
 全体として、十八世紀、十九世紀には国家が戦争を開始する際に、それを正当化する理由を掲げることさえ全く必要とはされなかった。他国との間に紛争問題があれば戦争に訴えて解決するのは当然であり、宣戦布告や捕虜の扱いなどの戦争のルールを守ればよいと、こうされていたわけであります。
 フランス一九七一年憲法が戦争を制限した初めての国内法であれば、同様の資格を持つ国際法は、言うまでもなく国際連盟規約であります。二十世紀に入り、第一次世界大戦の戦後処理を討議したベルサイユ会議で決定され、一九二〇年から実施をされました。
 国際連盟規約は、戦争に訴えざることを加盟国の義務として定め、国交断絶に至るのおそれのある紛争が生じたら必ず裁判に付すべきことなどを定めました。そして、この国際連盟の下で一九二八年、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを宣言した不戦条約が締結された。こうして自衛に当たらない戦争、すなわち侵略戦争を違法とする国際法が成立したというのは皆さん御承知のとおりです。
 しかしながら、歴史の事実が示すとおり、国際連盟は第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできませんでした。ヨーロッパではドイツとイタリアが、アジアでは日本がそれぞれ侵略戦争を引き起こし、第二次世界大戦へと発展したわけであります。一億一千万の兵士が動員され、そのうち二千五百万人が戦死したと言われます。民間人の死者も二千五百万人、第一次世界大戦の民間人の死者五十万人と比べても、実に五十倍に上ったわけであります。
 だからこそ、一九四五年六月、サンフランシスコ会議で採択された国連憲章は、冒頭から、二つの世界大戦の惨害を繰り返さないことを人類共通の決意といたしました。国連憲章のすべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使をいかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならないという武力不行使原則が戦争を違法化する世界の流れの中でいかに歴史的な意義を持つものであるかは、改めて言う必要もないと思うんです。
 しかし、戦後、世界政治の実際は、残念ながら国連憲章に違反する武力の行使が絶えることはありませんでした。アメリカによるベトナム侵略戦争やグレナダなどへの軍事介入、ソ連によるアフガニスタンへの軍事介入などが繰り返されてまいりました。そして、超大国米ソの対立の下で、国連はこれらの大国の軍事介入に有効に対処し得ない状況に置かれてきたのも事実であります。あれほど反戦運動が盛り上がったベトナム侵略戦争でさえ、国連安保理も国連総会も侵略を抑制する何らの効果的措置を取ることもできなかったわけであります。
 ソ連が崩壊し、二十一世紀に入った今でも、アメリカによるさきのイラク侵略戦争に見られるように、無法な戦争が繰り返されております。しかし、二十一世紀の世界は、こういった大国の横暴に対して無力なままではないということも大事な視点であると考えます。
 イラク戦争に至る経過の中で、昨年九月から今年三月にかけて国連安保理を舞台に激しい外交的な戦いが行われ、超大国アメリカの戦争を半年にわたって食い止めたことは大きな歴史的意義を持つと考えるものです。国連が戦争を食い止めるための本来の機能と力を今回ほど発揮したことはないと私たちは考えます。
 このような国際法に刻まれた戦争の違法化の歴史を振り返るとき、日本国憲法に示された平和主義の持つ世界史的な意義は明瞭だと思います。
 憲法九条は、内容的に言っても、戦争の違法化を目指す長年の諸国民の闘いを受け継いで、二十一世紀の人類社会の進むべき方向を先駆的に指し示すものだというふうに考えるということを申し上げて、私の発言といたします。

 

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