2月19日 憲法調査会(「基本的人権」のうち「『人』の保障」についての参考人質疑)
問題が多い政府の人権擁護法案
<規制緩和・グローバル化に警戒が必要>
宮本岳志君 両先生、ありがとうございます。
私、日本共産党の宮本です。
まず、平松参考人にお伺いしたいと思います。
先生は、資料の中で、特に規制緩和が商業道徳を一緒に洗い流そうとしている、こういうゆゆしき傾向についてもお触れになり、そして規制緩和が資本力による競争を放任する結果を招くおそれがある分野においては慎重な考慮が必要だ、あるいは雇用に直接影響を与える分野における規制緩和は個人のモラルや国民の連帯感に直接のインパクトを与えるので慎重な考慮が必要だと、こういうふうに論文でお述べになっていると思うんですね。
私も同感なんですけれども、この辺りについて平松先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
参考人(平松毅君) ありがとうございました。
現在の国際社会の深層を動かしている原動力は今も昔もねたみや恨みの感情でありますが、日本の八〇年代の高度成長は欧米人のねたみの感情を刺激し、その結果が現在日本が対応に苦慮している国際会計基準やISO9000などの規範の創設となったのではないかと疑われる節があります。
最近、ある企業人から、このような、次のような手紙を受け取ったのですが、それによりますと、西欧人が形成した近代法の体系の下で日本人が闘うことに大きなハンディがあるのではないかということであります。
最近、国際会計基準が整備され、グローバル経済の下ではこれに従った決算でなければ評価されなくなっている。この中には固定資産の減損会計というものがあり、固定資産の評価を取得価格によるのではなく、生み出す収益から逆算して定めようというものです。これはバブル崩壊後の日本企業を追い打ちするものです。土地の下落や賃料の下落によって固定資産が生み出す収益は激変しており、収益から還元して算出した評価額は取得価格を大きく下回り、その差は損失として計上されます。同様の影響を与えるものに、年功序列を採用し、退職金水準が高い、退職金債務を現在の価格で評価し毎年少しずつ費用として計上する退職給付会計というものもあります。これは、退職水準が高い日本企業をねらい撃ちしたような制度です。現在の状況でこの基準を適用することは日本企業にとって不利ですが、しかし基準の内容はもっともなもので、これに反論することは難しく、これに代わる代案を提示することはできませんと、こういうふうに言っております。
したがって、やはりこのような政治の世界におきましては、外国人のそのようなねたみとか恨みの感情、それを緩和する、そしてこのような措置というものを予防する、そういったような措置が政治の世界では必要なのではないかというふうに思われます。
宮本岳志君 同時に、少し今度は、平松先生のお書きになったことで、私、あれっと思ったところがあるんですね。いじめのことについて先生お書きになっておられます。
学校にいじめがあると、いじめる者が悪いという単純な発想になるけれども、いじめには原因があって、独善的な行動、わがままな行動、過度の依存心、行動の幼児性、協調性の欠如など本人の社会性に問題がある場合が多いと、こういう論をお書きになっておられます。
私は、子供側の人格的にも発達途上にあるわけですから社会性がまだ未確立なことはすべての子供にあり得る話でありますけれども、それをいじめというやり方で解決しようとすることについて今問題になっておって、そういう場合でも、いじめというようなことをやってはならないという議論がやられているんだと思うんですね。先生御指摘のような社会性に問題がある未熟な点について、それでいいという話はないわけでありまして、しかし、いじめをやっていいという話は恐らくないんだろうと思うんですね。
また、先生のおっしゃる日本の伝統的な共同体というものにも、やっぱりそういう異質なものも含めてお互いに認め合っていこうというものは、むしろ逆に伝統的なものだと思うんですけれども、この点は少し、先生、私の考えいかがでしょう。
参考人(平松毅君) ありがとうございました。
実は、これは私の経験でありまして、私も小学校高学年から中学校にかけて激しいいじめに遭いまして、何度も家で自殺のまね事等もしたことがありますが、学校でいじめに遭いますと、今度は家に帰りまして弟をいじめたわけです。そして、その腹いせをしたわけです。
これは万引きも同様でありまして、万引きをした人を捕まえたらそれで問題は解決するのかといいますと、実は外で万引きを唆している人たちがいるわけです。その人は嫌々ながら万引きをしている、だから捕まってしまう。そうしたら、その唆していた人たちは逃げてしまうわけです。
それから、セクハラも同様でありまして、セクハラをする人たちは必ずやはり自分たち自身が何らかのいじめとかセクハラ、何らかのそういったふうなストレスに遭っているわけです。
したがって、学生時代にいじめに遭った人たちの三割の人たちが成人してから犯罪人となるといったふうな統計資料を見たことがあります。したがって、いじめがあった場合にいじめた者を処分することによって問題が解決したというふうに考えるのは、これは一面的な見方ではないかというふうに考えることを申し上げたのであります。
宮本岳志君 それでは、申先生にお伺いいたします。
先生の論文の中で、とりわけ自由権と社会権について論じられている点がございます。憲法二十五条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と、これは本当に大事な規定だと思うんですけれども、しかし現実にそれがどう扱われているかという点で先生の御指摘というのは非常に示唆に富んだものだったというふうに思うんですね。
自由権の方の保障に比べて社会権の、社会的権利の実現は国家の経済的事情に依存するものということを所与の前提としておって、これらの権利も人権であるという認識は希薄であるように思われる、しかしこれはおかしいという論を、先生、お書きになっておりますが、この点をもう少し語っていただきたいと思います。
参考人(申ヘボン君) 今日お配りしてある資料は私が書きました「人権条約上の国家の義務」という本の抜粋でありますが、私がこの本の中で論じましたことは、日本において特に人権条約を実施する際に、国際人権規約の中に社会権規約、いわゆるA規約と言われるもの、それから自由権規約、いわゆるB規約というもの、二つが含まれていますが、その自由権規約の方は即時実施とか各国の義務とか言われるのに対して、社会権規約の方は専ら漸進的な実施の対象であってすぐにはできないと言われることが余りにも多いことから、それに対する批判的な検討をしたものであります。
私は国際法の観点からそれをやったわけでありますが、憲法の分野では比較的、自由権、社会権の相対性ということは認められているように思います。
例えば憲法二十五条の場合でも、生存権は基本的には社会権ではありますが、例えば最高裁の朝日訴訟判決のように、生活保護水準が余りにも低過ぎるという場合には、二十五条に照らしてそれを違法とすることは当然できるというような考え方が取られて定着しておりますので、そういった考えは憲法ではもう定着していると思いますが、国際法では必ずしもそうではなかった傾向があるんですね。
そういった面で、私が人権条約の実施を研究しておりまして、国際人権規約のうち自由権規約の方に余りにも重点が置かれ過ぎて、社会権規約の中にもたくさん大事な人権があるにもかかわらず、それはすぐにはできないからやらなくてもいいと言わんばかりの状況であることに非常に危機感を持って書いたものでございます。
宮本岳志君 先生がその直後に引用されている、「これらの権利が」、つまり社会権が「実現困難と思えるのは、既存の財や資源の配分が何ら変更を受けないことを前提としているからにほかならない。」と、この指摘は非常に大事だと思っておりまして、これは正に憲法二十五条の運用上も大事な点だと受け止めました。
<人権としての社会的権利という認識>
宮本岳志君 時間ございませんので、次のことをお伺いいたします。
リプロダクティブヘルス・ライツについてお伺いしたいんですが、都道府県の男女共同参画条例の中に性と生殖に関する健康と権利という規定が盛り込まれる、こういうことがずっと広がってきております。私は当然のことだと思っているんですけれども。これが随分議論を一部呼びまして、これが依然として議論の余地があるというようなことが議論になってまいりました。
昨日、一昨日ですか、十七日、午後の記者会見で福田官房長官は、これは男女共同参画社会基本法とか男女共同参画基本計画の趣旨に照らして問題はないと明確に述べられたということで、これは当然の立場だと思うんですが、ちょっとこのリプロダクティブヘルス・ライツの日本における、何といいますか、認知といいますか、その運用について先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
参考人(申ヘボン君) リプロダクティブヘルス・ライツというのは性と生殖に関する権利・健康と訳されておりますが、これは、例えば日本よりもっと深刻なのがいわゆる途上国の状況でありまして、女性が避妊の手段等全く持たない中で、ただぼこぼこと子供を産まざるを得ない、結局、それによって何十人も子供を産んで、何十人というか十何人も子供を産んで、自分の人生を自分で決められないような生活をせざるを得ない。そういうことに対して、女性は自分で子供を何人持つか、いつ持つかということを決める権利があるという形で出てきた権利だというふうに理解しております。
今の御質問の趣旨というのは、日本でこの権利がどれほど認知されているかということでしょうか。
日本では比較的最近になって論じられるようになった権利で、そもそもこの言葉自体、日本の訳語としてはまだ定着していない面が多いのではないかというふうに思っています。つまり日本語としてぴったりする言葉がなかなかない。性と生殖という言葉が一応使われておりますけれども、これは実は女性だけの権利ではなくて、例えば夫婦の相手方である男性も含めて、男女ともに性と生殖に関する事柄を自分たちでコントロールする権利があるんだという考え方であります。
宮本岳志君 改めて人権擁護法案についてお伺いするんですけれども、先ほど自民党の方からもお話がありました。
そこで、申先生のお立場を改めて確認させていただきたいんですが、私どもは、人権擁護法案はパリ原則に基づいて国際的に努力されているものに比べてもほど遠いものになっていると。それは、とりわけ法務省の外局として置かれる独立性の問題、あるいはメディア規制の不安ということも当初ありましたし、今ももちろん完全にということではないのかもしれません。それから、労働分野での差別的取扱いを特例として委員会の対象から外していること等々、これは何といいますか、むしろこの法案については、作られるならば重大な後退になるというふうに私たちは見ているんですけれども、申先生のお立場を確認させていただけますでしょうか。
参考人(申ヘボン君) 現在の人権擁護法案に対しては、先ほど申しましたような、人権委員会の独立性が十分確保されていない、特に所属官庁の問題、これが第一にありますが、そのほかにも、例えば人権委員会の人数の問題もあると思います。
パリ原則では人権機関の多元性の保障という要素が入っておりますが、現在の人権擁護法案の人権委員会の委員数はたった五名、その中で常勤委員は二名とされております。こういった形でどれだけ全国の様々な人権委員会を十分扱うことができ、しかも委員の多元性を保障できるのか明らかではないというふうに思います。少なくとも十人程度、できればもっと大人数の人権委員会を設置し、それと併せて、男女比であるとか、いわゆる社会の少数者、マイノリティーの方々の含まれることも含めて、多元性の保障という要件を置く必要があると思っております。
会長(野沢太三君) 時間が来ています。
宮本岳志君 ありがとうございました。