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| 【1】「誰もがミヤモトを知っていた」 |
| 高校時代の同級生 金沢大学助教授 碇山洋さん |
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宮本岳志君は私にとって、大阪府立岸和田高校での「一年先輩の同級生」です。進学校として知られ留年者がほとんど皆無だった当時の岸高で、堂々、留年していた宮本君は、その大きな体格とあわせて、いやでも目立つ存在でした。ラグビー部でスクラムを組んでいた彼は、社会科学研究部などという「硬派」のクラブの部長もつとめていました。フォークソング研究部でも、当時、流行(はや)りはじめのニューミュージックなど見向きもせずに、反戦歌はじめ本格のフォークソングにこだわり続けている、ただ者ではない人でした。
私たちと同じ時期に岸高に在籍していた人で、ミヤモトの名前を知らない人はたぶんいなかったでしょう。なり手がいなくて困っていた自治会の会長に自ら立候補したり、教師に論争を挑んだり、高校生のくせに『資本論』を読破したり・・・。ともかく型破りの、スケールの大きなひとです。
そういうわけで、「ミヤモトはたいした奴だ」「あいつはスジの通った人間だ」という評判もよくきけば、「目立ちすぎる」「ムシが好かない」といったやや感情的な悪評もきこえてきました。少し前まで、日本共産党にたいして少なからぬ人々がもっていた感情と、共通するものがあったようにも思います。
先日、岸和田高校創立百周年記念の同窓会で宮本君に会いました。彼の名刺の裏には高校時代に日本共産党に入党したことが記されていて、みんな驚いたり納得したりしていました。宮本君が先に発ったあとの二次会、やはり話題の中心は、参院選に立候補を表明した同級生のことでした。現在の政治的立場がちがう人もふくめ、人格形成の大切な時期の高校時代、実は誰もがミヤモトを意識していたことがなつかしく語られました。十八年ぶりに再会した私たちはずいぶん変わってしまっていましたが、高校時代の初心を貫いている宮本君はまぶしくもあり、うらやましくも思えました。
宮本君とともにすごした高校時代のすぐあとの世代、大学生の教育に携わっている私には、ゼミの学生のなかにミヤモトがひとりいてくれたら、どんなにおもしろいゼミ活動ができるだろうと考えてしまいます。そして、「国会にミヤモト」と想像してみると、もうほんとうに愉快になってくるのです。
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| (しんぶん赤旗大阪のページ1998年3月15日付) |
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