(NEW)故・中西みよ子前門真市議が自らの告別式用に書き残し、配布された文章
本日はお忙しいところ、中西みよ子の告別式にご参列いただきまして、まことにありがとうございます。
50歳のとき、乳がんの手術を行い、再発の繰り返し、それ以来抗がん剤・温熱療法・免疫療法・血管内治療とあらゆる治療に取り組んでまいりましたが、私のガンはガンとして小さくならず、私の体を蝕んできました。2007年11月から3ヶ月、最後の治療として高知・土佐清水病院に入院し、漢方療法を中心とした治療を受けましたが、結局効果はありませんでした。
私はまだ54歳、もっと長生きして、いろんなことをやりたかった。もっと、人の役に立ちたかったのに残念です。しかし、私は、自分の人生に悔いはありません。
高校を卒業し寮と会社の往復でつまらなく「何かもっとやりがいのある仕事をしたい。」と東京に出てまいりました。東京に出て、女子栄養短期大学・女子栄養大学と7年間働きながら学び続けました。この中で自分の生きがいと社会進歩につなげて活動する共産党との出会い、この出会いが私の人生を常に前向きに示してくれました。
大学を卒業した私は、どうしても教師になりたいと教員採用試験に何回も挑戦しながら高校の家庭科の非常勤教師となりました。ここで、教えることの難しさ、生徒にわかってもらえた時の喜びを味わい、もっと子どもたちに単なる知識ではなく、人生に役立つ知識をといろいろ工夫しました。教師という仕事の魅力にとりこまれ、これから常勤教師となって本格的に教師の仕事を始めようという矢先、市会議員の声がかかりました。相当悩みましたが、教師は私でなくてもっと優秀な人がいる。市会議員はなかなか人がいない。それなら自分がやろうと決心しました。
しかし市会議員という仕事も大変やりがいのある仕事でした。 市民のみなさんが、悩み苦しんでいることに、耳を傾け一緒に動き、解決できた時、市民の願いを議会で何回も取り上げ、実現した時ほど嬉しいことはありませんでした。
私が印象に残っていることは、いつも雨。 雨が降るたびに30数年浸水している地域にやっと公共下水道が通り「これで雨の心配がなくなる。これで、やっとおばあちゃんにウォシュレットを使わせられる」と喜んで頂いたこと。現在、門真市駅前にドラッグストアが出来ていますが、ここが長年、空き店舗になっていたとき「ここにパチスロ店を」との話が出た時、PTA、自治会などが一緒になって運動を行い、私も議会で、市長に再質問まで行い答弁を求め、ついにパチスロ店出店を断念させたこと、旧門真南高校がつぶされず、「市民総合センター」として残り、市民のスポーツ・文化の拠点として残ったことなどです。 みなさんの温かいご支援のもと、3期12年間、よい仕事ができたことを誇りに思います。
また、私の生涯の中でアレルギー問題に取り組み、アレルギーで苦しむ子ども、お母さん方のより所として「門真アレルギーを考える会」を結成し17年間活動できたことも大きな役割りをはたしてきたと思っています。 平和の問題も重要です。平和でなければ、病気も治せないし、自由に生きることもできません。いま、憲法9条を変えて、また日本を戦争する国につくり替えようという、きな臭い動きが強まっています。そのため「九条の会」が全国でたちあがって門真でも市民の方ががんばっています。私は病気の為、残念ながら充分なことはできませんでしたが、大きな運動となるよう願っています。
今や、三人に一人はがんで亡くなるという時代、皆さん方もお体に十分に気をつけて頂き、私の分まで長生きしていただけます様よろしくお願いいたします。
最後になりましたが、残された家族(夫、長女、長男)も寂しい思いをしていると思います。街角でみかけましたら声をかけていただきますようお願いいたします。
本日は本当にありがとうございました。
2008年4月14日 中西みよ子
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