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故・森実一広同志のこと

 2月15日は私にとって終生忘れられない日です。1998年2月15日、ともに青年運動に打ち込んできた、当時日本民主青年同盟中央委員長だった森実一広さんが委員長在職のまま亡くなられました。前年末から「風邪ひきをこじらせた」とは聞いておりましたが、突然の訃報に驚愕したことを昨日のことのように思い出します。

 森実さんがまだ民青京都府委員長をされていた時、私は大阪府委員長でした。民青同盟の中央委員会や都道府県委員長会議は伊豆にある青年学習会館で開催されるのですが、だいたい近畿圏の府県委員長は同じ部屋が割り当てられ、よくお互い深夜まで語り合ったものでした。若い時代ですから夜はずいぶん酒も飲みましたが、彼はそういう時でもあまり深酒はせず、気がつくとベッドで一人本を読んでいるというたいへんな勉強家でした。

 森実さんは京都大学卒業という秀才で、頭脳が明晰というだけでなく、青年運動にあくなき情熱を傾ける情熱家でもありました。当時、大阪の民青が京都よりさほど進んでいたというおぼえもないのですが、年齢的にも先輩に当たる私に、絶えずいろんなことを質問し、「京都もぜひ大阪に学んで」などとおっしゃるのです。こちらのほうが恥ずかしくなるときもありました。

 1994年4月の民青同盟第22回全国大会で私が民青同盟大阪府委員長を退任、民青を卒業し、1995年7月にたたかわれる参議院選挙の日本共産党比例代表予定候補となったその時に、森実さんは民青同盟中央副委員長として、京都から東京に赴任されたのです。当時、私は彼のような有能な人が民青中央を担ってくれるのなら本当に安心だと思ったものです。

 森実さんの死は、民青同盟にとっても、私たち同時期に青年運動に打ち込んできたものにとっても、簡単には受け止めきれない出来事でした。民青同盟にとっては、「亀戸事件」で関東大震災のさなか、官憲にとられられ虐殺された共産青年同盟初代委員長、川合義虎氏以来、二人めの委員長の在職死となりました。

 「最初は風邪ひきだったものを、無理をしてこじらせてしまった」ということを知ったとき、私は忘れることのできない彼の人柄をあらわすある出来事を思い出したのです。

 私たちが民青の活動をしていた頃、まだ「青年運動」という月刊誌があり、そこには「専従同盟員として生きる」というコーナーがあり、全国の専従者が順番に自分の思いを書くことになっていました。ある号に、森実京都府委員長の文章が掲載されたのです。彼は次のようなことを書いていたのです。

 自分の大学の同窓生は、ほとんどが銀行や一流商社などにつとめ、海外へ赴任したりビジネスの最前線で働いている。しかし今、そういう職場では大企業の儲けのために、際限のない長時間過密労働がまかりとおり、体がボロボロになるまで働かされている実態がある。しかし自分は、民青同盟の仲間たちとともに、生きがいを社会進歩に結んで生きる道を選んだことはたいへん幸せなことだと。

 私はここまで読んで、きっと彼は「確かに経済的には恵まれない仕事ではあるが、いくら裕福でも身体がボロボロになるまで働かされるより自分のほうがずっと幸せだ」というふうに論じるのだろうと思ったら、彼は違ったのです。そこには「だから、深夜まで煌々と灯りがともるオフィス街を見上げながら、そこに苦しめられている同窓生たちがいる、もっと自分はがんばらねばならないと決意を固めるのです」と結ばれていました。

 私は恥じました。われわれはこうでなくてはいけないと。感動した私は、当時大阪の専従者を集めてこの文章をみんなで回し読みし、自分の反省を述べたのを覚えています。しかし、そういう人だっただけにがんばりすぎたのだと思うと、「森実君、もういい、何もそこまでがんばらなくってもよかったんだ」という思いが次から次へとこみ上げてきて、涙が止まりませんでした。

 私が比例代表候補の任務を終え、大阪の地区委員会で赤旗の配達集金の仕事をはじめてまもなく彼が中央委員長に選出されたと聞きました。やっぱり日本を背負う人だ、将来は国会に出ても十分活躍できる人だとうれしくそのニュースを聞きました。それが、私が98年参議院選挙の大阪選挙区の予定候補となり大阪を駆けめぐる中での突然の訃報…「森実君、それはないだろう」との思いでした。

 私は彼の葬儀の日、彼の遺影の前で、きたる参議院選挙で必ず勝利すること、そして彼がなしえなかった、政治の革新をその遺志を継いで必ず成し遂げることを誓ったのを今でもはっきり覚えています。98年の参議院選挙は彼の遺志も背負ったたたかいでありました。それ以来私は、彼とともにたたかっているつもりです。

 毎年2月15日がやってきます。今年で8回目の命日でした。「去る人、日々にうとし」と言いますが、「森実一広」という名前は徐々に人々の記憶から薄れていくことは否定できません。日本民主青年同盟は青年の組織です。未来の組織です。若き担い手たちが次々と入れ替わっていくのは当然であり、それでこそ前進するのです。いつまでも過去を振り返り、涙するというようなことは青年同盟に負わせるべき仕事ではありません。

 だからこそ、私たちが。「森実一広」とともに若き時代、青年運動に情熱を傾け、ともに学びともにたたかった我々同時代に青年運動を担ったものが、彼の名前と業績、その稀有な能力と優れた人となりを一生背負って行ってやらなければならないと思っています。2008年は彼の没後10周年です。ぜひとも彼を偲ぶ関係者のつどいを開きたい。そして来年は彼とともに参議院選挙をたたかい、再び勝ち抜いてその日を迎えることを彼に誓いたいと思います。


 

 
 
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