小選挙区候補者交流会議と川上貫一代議士のこと
大阪では1選挙区を除いて、すべての小選挙区で予定候補者が決定し、すでに候補者のみなさんは街頭宣伝や「党綱領と日本の前途を語り合うつどい」の講師、各種シンポジウムのパネラーや農業団体や医師会などへの申し入れとこんだん、「しんぶん赤旗」のおすすめなど総選挙勝利めざす活動の先頭にたっておられます。今日は小選挙区予定候補者のみなさんに集まっていただいて、活動交流と意思統一の会議をひらきました。
私から「候補者活動にかかわって」というテーマで40分間ほど、演説の工夫や候補者活動で心がけている点などを体験談も交えて報告し、議論と交流のきっかけにしていただきました。しかしこういう「講演準備」ってのはつらいんですよね。報告では候補者活動にかかわって「ちゃんと原稿準備の学習と原稿準備の時間をとれるように」とか「休息と休憩も大切」といいながら、私のスケジュールがだいたいそうなっていませんので…。
したがって講演の準備は睡眠時間を削ってやることになります。まあしかし何とかレジュメを作成して報告しました。小選挙区候補者といっても十人十色で、小選挙区候補が初めてという方もいらっしゃれば、この間すでに何回か選挙をたたかった方もいらっしゃいます。長年、地方議員として活躍し実績を重ねてこられた方もおられれば、現職の地区委員長さんもおられます。だいたい大阪5区なんて、大阪市長選をたたかわれた姫野浄さんですからね…。「釈迦に説法」とはこのことですね。
でもまあ、自分の反省点や、心がけている点も含めて、何とかお話しました。報告の冒頭、私が「いまだに演説会などで『川上貫一さんの演説はよかった。あなたはまだ川上さんの足もとにも及ばない』などと言われることがあります」とお話したものですから、川上貫一さんの「孫弟子」筋に当たる姫野さんや、9区の村上ひろみつさんらからも川上貫一代議士の話が…。
川上さんといえば「大根一本から政治を語った」という演説の名人。川上さんが語ると見る見る人が立ち止まり、「演説を聞いてその場で共産党に入党した」という人にも現に出会います。そして川上さんのもう一つの歴史に残る逸話は、1951年1月28日、衆議院本会議で単独講和反対、日本の再軍備反対の鋭い追及をおこなったことから、不当にも国会から「除名」されたことです。
川上質問に恐れをなした当時の自由党など反動派は、川上さんを懲罰に付することをたくらみ、川上発言が不穏当であるとして本会議における陳謝を命じ、川上さんがそれを拒否すると3月26日衆議院懲罰委員会で議員の除名を多数の暴挙で決定したのです。それが採決に付された3月29日の衆議院本会議では日本共産党の加藤充議員が党を代表して反対討論に立ち、次のように討論を結びました。
「最後に、私は声を大にして叫びたい。諸君は、院内多数の暴力をもって、真の愛国者である川上君を除名することは、あるいはできるかもしれない、しかしながら諸君、全日本の、いな全世界の平和と自由を熱望する十億になんなんとする人々を除名することは断じてできません。(拍手)諸君、さばかれる者は、実に川上君ではなくして、このファッショ的陰謀を計画し、遂行した者自体であります。歴史は、このことを近く必ず証明するでありましょう。(拍手)」
ついに川上貫一さんは多数の横暴によって除名されましたが、1953年の第26回衆議院総選挙で、不死鳥のように当選を果たし、以来1968年に死去されるまで、川上さんはこの議席を守り抜かれたのです。まさに「伝説の人」ですねえ…なるほど、私など足もとにも及びません。しかし川上貫一さんが亡くなられた1968年といえば私は9歳。見たことも話を聞いたこともない「伝説の人」と比べられるというのも、なかなか酷なことではあります。
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