北区・福島区で「宮本たけしデー」、故・青木雄二さんの本
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北区・福島区で「宮本たけしデー」、故・青木雄二さんの本

 今日は北区と福島区で「宮本たけしデー」、北区では市会議員候補だった桐谷ゆうぞうさんや府会議員候補だった山崎すみおさんとともに「生活と健康を守る会」のみなさんとのこんだんや「しんぶん赤旗」のおすすめに地域を回らせていただきました。福島区では清水ただし大阪市会議員とともに、ご商店を回ってごあいさつと「しんぶん赤旗」のおすすめ。今日一日で新たに3軒で読者になっていただくとともに、夕刻は野田阪神駅前で街頭演説をさせていただきました。

 さて、北区に行くので買い込んであった漫画家・青木雄二さんの著書「僕が最後に言い残したかったこと」を一気に読み終えました。青木雄二さんは「ナニワ金融道」がブレイクする前は北区にお住まいで、私が1995年の夏に参議院比例代表候補の任務を終えて、年末から当時の北地区委員会の常任となり、「しんぶん赤旗」の配達・集金の仕事についた時、まだ北区にお住まいでした。

 天神橋筋六丁目にある、さる居酒屋に「つっかけ」姿でよく飲みにきていたとのこと…そんなことからお付き合いができて、私の1998年の大阪選挙区の選挙ではずいぶん応援をいただきました。48歳で若代さんとご結婚後、兵庫県に引っ越して行かれましたが、その後も神戸でお会いして「大阪民主新報」紙上で対談させていただいたこともあります。

 2003年9月5日、まだ参議院議員だった私のもとに青木さんの訃報が届きました。驚愕して兵庫県で執り行われたお通夜に駆けつけたのを昨日の事のように覚えています。享年58歳、死因は肺がんだったとのことでした。この「僕が最後に言い残したかったこと」は、いわば青木さんの遺言書のような本です。肺がんであることはもちろんご本人もご存知で、医師から余命3か月という宣告を受けてから語った内容です。

 文中には「僕は、今、肺ガンを患っております。余命は三か月と言われました。唯物論者ゆえ、僕は、死ぬことなどは怖くありません。死ぬ気も一切ありません。」との言葉もあります。その青木さんが「日本へ」「若者へ」「銭へ」「マルクスへ」「人生へ」「息子へ」「妻へ」など、自分の思いを存分に語った本で、青木さんの人生のそういう局面での発言だけに、深く胸に迫るものがあります。

 青木さんは生涯「マルクス」と「共産主義」を探究した人でした。青木さんの「資本論」や「マルクス」の理解はなかなか的確で、3月10日の「今日のタックル」で紹介した佐藤優氏のマルクス談議など足下にも及ばないものです。そういう点では今青木さんが生きておられたら、どのように現在の日米資本主義を語っただろうかなどと考えつつ読み終えました。(佐藤優氏のマルクス談議については「今日のタックル」http://www.miyamoto-net.net/column/diary/1205247307.htmlを参照して下さい)

 青木さんは「日本へ」で「選挙で日本を変える気があるんか!」と国民に呼びかけ、「僕が本当にやりたい事は、社会的に弱者と呼ばれている人々を啓蒙し、彼らの生活を少しでも豊かにするということや。」と言い、「僕は金持ちになったから、今の世の中でも全然かまわない。むしろいまの体制のほうがええくらいや。しかし、困るのは君らなのやで」と、いかにも青木さんらしい語り口で語りかけておられます。

 北区のみなさんに青木さんがこの本に込められたメッセージをお伝えし、「選挙で日本を変えよう!」と訴えさせていただきました。青木さんが亡くなって今年でもう5年。あらためて故・青木雄二さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 
 
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