阪急の斉藤さんの「定年を祝う会」に出席、川上未映子「乳と卵」を読む
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阪急の斉藤さんの「定年を祝う会」に出席、川上未映子「乳と卵」を読む

 日本共産党阪急電鉄労働者後援会の会長で、「私鉄連帯する会」でも全国的にご活躍の斉藤充男さんが定年を迎えられ、「斉藤さんの定年を祝う会」が開催されるというので、私も駆けつけて、ごいっしょにお祝いさせていただきました。斉藤さんは阪急の労働者で、いっかんして労働者の立場に立ち、労使協調と反共の労務政策とたたかいぬいてこられました。

 とりわけ、非常勤や契約社員の待遇の問題では、まっさきにこれを取り上げ、正規・非正規の区別なく職場に働くものの要求の実現へ全力を尽くしてこられました。阪急では昼食時の弁当の値段まで正規社員と非正規労働者とでは差別をされていましたが、非正規労働者からの訴えを聞き、会社に申し入れてこの屈辱的な差別をやめさせたのは有名な話です。

 斉藤さんは職場の労働者から信頼され、労働者の要求と鉄道事業の安全のために発言し行動するその姿は、やがては「反共」といわれてきた労働組合の態度にも大きく影響を与えました。今日の「定年を祝う会」には「連合」傘下の阪急労組の委員長も参加され、祝辞を述べて下さいました。

 私からは、昨日、橋下知事が黒田知事以来30年ぶりに日本共産党大阪府委員会を表敬訪問されたことも紹介しつつ、私たちの道理ある主張が徐々に「反共」の垣根を突き崩してきたこと、そういった大きな変化をつくり出したのも、斉藤さんをはじめ現場労働者のねばり強いたたかいがあったからこそだということをお話しし、そのたたかいの先頭に立ってこられた斉藤さんに心から感謝を申し上げました。

 さて電車移動の時間を使って、「文芸春秋」3月号に掲載された第138回芥川賞受賞作、川上未映子「乳と卵」を読みました。東京に住む主人公のところに、今は離婚して母子家庭となっている姉とその小学生の娘が2泊3日でやってくるというお話。「豊胸手術を受ける」ことに執着する母と、思春期の心の動揺と閉塞から言葉が出なくなった娘を、2泊3日の時間軸の中で描くというもの…。

 読み始めた最初は1ページごとに読むのをやめようと思うような文体。大阪弁とブログ言葉が入り混じったような読みにくい悪文で綴られています。言葉が左右に飛び跳ね、「体言止め」が多用されて読むものを難渋させる文体です。最後まで読み進めばそれが計算されたものであったこともわかるのですが。このような手法がはたして必要なのかどうか、その必要性がいまひとつ私の胸には落ちませんでした。

 ましてや、それを「仕掛けとたくらみに満ちたよい小説」(池澤夏樹)「勝手気ままに振る舞っているように見せかけながら、慎重に言葉を編みこんでゆく才能は見事」(小川洋子)「ぎりぎりのところで制御された見事な文体」(村上龍)などと、天まで持ち上げてみせる選者の評には違和感を禁じ得ません。むしろ「一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい」という石原慎太郎氏の意見のほうがまっとうな気がします。

 しかし石原氏が「この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい」とまで切って捨てていることには異論があります。石原氏は今回の芥川賞候補作の「主題の軽さ」を嘆いていますが、この作品で川上氏が取り上げた主題は石原氏のように「軽い」の一言で片付けて良いものだとは思いません。作者は受賞者インタビューで語っているように、弟の学資を稼ぐために書店員や北新地のクラブホステスなどで働いた経験を持つ「苦労人」でもあります。

 この母子の精神的な断絶と閉塞の背景に横たわる貧困を、見抜く目をたしかにこの作者は持っています。「まあとにかくこれからその時々の局面で巻子母子がどうやっていくのか、ということをぼんやり思ってみれば、何となく暗い気持ちにわたしもなるのです。そんなことは仕方のないことではあるけれども、まあしっかりとした会社に勤めていればそれが安心かといわれればそうやとも云えぬのも最近の事実」などという描写が出てきます。

 しかし、残念ながらその思索はそれ以上には進みません。それは「乳と卵」という作品名にもしめされているように、女性の体、性と生理に対する強い執着と思索から離れられないところに一つの原因があるように思います。最後に言葉を失っていた娘が口を開き「お母さん、ほんまのこと、ほんまのことをゆうてや」と迫る場面、親子が本当にわかり合おうとする場面はそれなりの臨場感を持って迫りますが、それを受けて母親が「でも緑子な、ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで。」と言うだけでは、消化不良が残ります。

 全体として、娘…緑子はよく描かれています。選者の川上広美氏が「病んでいるのに、不思議にすこやかな印象」と述べ、10年後の緑子に「もう一度会いたい」と書いているのには共感します。「くるしい気持ちは、だれの苦しい気持ちも、厭やなあ。なくなればいいなあ。おかあさんがかわいそう。ほんまはずっと、かわいそう」という緑子の思いには、少女らしい健全さがしめされ、この小説の「救い」となっています。

 それにしても作者はシングル3枚とアルバム3枚を出した歌手でもあり、哲学の勉強も続けているという、なかなか多彩な才能の持ち主です。本人も「私は書くときに理屈っぽいところがあるかもしれない」と述べているように、高校生の時にカントを読み、池田晶子氏や永井均氏に傾倒したという彼女の哲学は、たしかに彼女の作品に影響を与えているように思われます。「理屈っぱい」ことは大いに結構。どうせ理屈っぽいのなら、とことん理屈を突き詰めてみていただきたいものですね。

 

 
 
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