府常任委員会で党大会後最初の討論、Sさんからのメール
今日は府常任委員会の定例開催日ではありませんでしたが、党大会後最初の府常任委員会が開催され、党大会の感想やうけとめ、学んだことなどを交流。党大会後最初の討論を行いました。今回の党大会は自民党政治の内政・外交両面のゆきづまりをどう見るかという点でも、世界の流れを大きな視野で見るという点でも、また全党員が新しい綱領を身につけ、すべての支部が「政策と計画」をもった自覚的な活動に踏みだしてゆく党建設の大道をひらくという点でも学ぶべきことの宝庫だったと思います。
この党大会決定と党綱領をしっかり身につけることによって、長い視野で日本と世界の情勢、党の役割に確信を持って、明るく元気にがんばることができる・・・これをどれだけ大阪のすみずみに広げていくかに今年の指導と活動の中心問題があります。ただちに私たち党大会参加者と府常任委員会がその先頭にたとうと決意を固め合いました。
午後からは打ち合わせやデスクワーク。事務所のパソコンを開くと、年金者組合のSさんからメールが・・・。高尾翠著「天皇の軍隊と平頂山事件」という本に次のような記述があることを教えていただきました。
「・・・1931年12月12日井上清一の妻千代子は、夫が満州に出征する日の前夜、刃渡り1尺の白鞘の短刀で右咽喉部を切り、自害した。床の間に天皇、皇后の写真を奉安し、台所には夫の出征の門出を祝う赤飯と鯛が準備されていた。遺書には、『後顧の憂いなく御国のために思う存分働いてください。』としたためられていた。 天皇の軍隊のイデオロギーは『東亜永遠の平和』を目的とする『正義のための聖戦論』である。戦争に傾斜しようとしていた時代背景のなかで、戦地に赴く軍人をその死をもって送る妻の姿は、このイデオロギーを盛り上げる格好の道具となった。出征する井上に代わって第37連隊の将校葬が行われ、千代子の母校、岸和田高等女学校は臨時休校して、全生徒が葬儀に参加した。国は、井上清一を『軍国の七光り』で送りだした。 『殉国、烈婦井上中尉夫人』、『死の選別』、『ああ井上中尉夫人』など、映画化が決まり、これをきっかけに『大日本帝国国防婦人会』が誕生し、またたくまに、1千万の大組織に成長した。・・・」
「井上中尉の妻の殉死」という「美談」は、私もものの本で読んだことがありましたが、その人が「岸和田高等女学校」の卒業生だったとは知りませんでした。「岸和田高等女学校」とは、現在の府立和泉高校、昨年亡くなられた、故・くつぬぎタケ子元参議院議員の出身校です。
私の母校である府立岸和田高校は当時岸和田中学でしたが、もちろん男子校。今とは違って女子はどんなに成績が良くとも岸和田中学には入ることはできず、みんな「岸和田高等女学校」だったのです。その卒業生がたどったこの痛ましい事件と、それを神格化して侵略戦争の推進に利用した当時の軍国主義の非人間性に慄然たる思いがします。
私は戦死した岸和田中学卒業生の公葬で、校長が読んだという「31通の弔辞」について、このホームページに書いたことがありますが、当時の女性もまったく同じように軍国主義の犠牲になって自ら命を捨てざるを得なかった事実を知り、本当に許せない思いでいっぱいになりました。
党大会決議も強調したように、過去の侵略戦争を正当化し、歴史を偽造するするような動きを断じて許すわけにはいきません。日本共産党は、戦前・戦後の歴史をつうじて、反戦・平和を不屈につらぬいた党として、歴史を偽造する逆流の根をたつために力をつくします。
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