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旭爪あかね「風車の見える丘」を読み終えて

 「稲の旋律」の続編にあたる旭爪(ひのつめ)あかね氏の「風車の見える丘」を読み終えました。前作が薮崎千華と広瀬晋平という二人の人間の関係を軸に話が組み立てられていたのに対して、「風車の見える丘」は前作では脇役であった小林新を主人公に、大学時代の友人たちとの人間関係を描きながら、会社を辞め三喜町で農業をはじめたいきさつや広瀬晋平との出会い、そして晋平をつうじての薮崎千華との出会いを描いています。

 ですから「続編」というよりも「同時進行劇」であり、あるいは別の角度から同じ時系列を描いたものとも言えます。そういう意味では以前にも書いたように「書かれるべくして書かれた続編」であり、「風車の見える丘」によって、前作「稲の旋律」にもまた新たなリアリティが与えられるという関係にあります。

 「稲の旋律」の世界は二人の人間の関係が中心ですから、その二人にかかわる世界というものも、農業問題であったり、子どもと親との関係の問題であったり、不登校の問題であったりということでしたが、「風車の見える丘」は小林新の大学時代の「風力発電研究会」のメンバー5人が歩むそれぞれの道にそくして書かれているために、ジャーナリズムの問題点あり、公務員問題あり、教員採用試験と学校の問題あり、トラックの規制緩和と過労運転問題あり…さまざまな社会との関わりが、リアリティをもって取り上げられています。

 しかし中心問題は「どうして、友達なのに、その人のことを競争相手だなんて思ってしまうんだろう」という問いかけに収斂してゆくその描き方は、前作を大きく超えるこの作家の幅の広がりと奥行きを感じさせるものになっています。一人ひとりが、傷つき悩みながら、表に出せぬ、嫉妬、ねたみ、劣等感、そういった感情に引きずられて生きている、その「人間」の核心に迫るのです。

 全体としてリアリティは格段に高まりました。しかし、読み終えてみて…結末には「引っかかり」を感じざるを得ませんでした。交通事故を起こし拘置所に入っている友だちに、みんながテープのメッセージを送るという場面。主人公の新は、自虐的なまでに自分の弱さ醜さを語ります。みんなも悩みを洗いざらい話してテープに吹き込むというもの…。

 友だちを「競争相手」と思ってしまうという人間関係の弱点は、本当にこのような懺悔と受容という営為をもって解決されるものなのでしょうか。「心の中の襞まですべて明らかにしあう」ということが、本当に真の友情の条件なのでしょうか。私には「息苦しさ」さえ感じられました。私には山下よしきさんをはじめ「無二の親友」と呼べる人たちがたくさんいますが、このような告白大会などやったことはないし、友情にとってそれが必要だと感じたことさえありません。

 ここまで前進してきた旭爪あかねという作家を、最後の最後にこのような時点に引き戻してしまったのはいったい何なのか、それを明らかにすることはぜひとも必要だと思います。一人ひとりは独立した個人でありながら、共通の社会発展の法則性への認識で結ばれ、共通の敵とのたたかいの中で結ばれる人間関係。そういった集団への接近がなければ…この問題への解答は与えられないように思われます。

 旭爪あかね…21世紀の民主主義文学運動をひらく可能性と力量を持った、若いこの作家と作品を、正面から批評する仕事も、またわれわれ若い世代の書き手に課せられた責任であると確信します。日本民主主義文学会への加入作品となった「『敗北の文学』と人間の問題」以来、評論を書いていませんでしたが、これは、時間が許せば、ぜひとも書いてみたいテーマの一つだと感じました。

 
 
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