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「キャスティングボード」論とは、つまり「取り引き」である!(長いが注目!)

 民青同盟時代から親しくしてきた新川清美(旧姓・田中清美)さんががんのため42歳という若さで急逝。報せに驚愕しつつ総選挙公示日の8月30日、すべてのスケジュールを終えてからご自宅へ。8月17日に病院に見舞った時には、肺の水を抜いて楽になったと言って元気に話せたのに…。

 昨日の夜もスケジュールを終えてお通夜に駆けつけましたが、とうとう今日は告別式を迎えました。うちと同じ中学3年生の男の子を先頭に3人の幼い子どもを残しての急逝に言葉もありません。17日に会った時には、私の立候補表明を喜んでくれ何度も手を握って「絶対、応援するからな」と…本当に無念です。

 涙にくれた告別式を終え、清美さんが「応援するからな」と言って下さった党の前進のために涙を拭いて街頭へ。午後3時から河内長野駅前を皮切りに河内長野市内で街頭演説。夜は河内長野と美原の演説会の弁士に立ちました。

 共同通信は「公明党岐阜第1総支部と第5総支部は31日までに、いずれも郵政民営化関連法案に反対、無所属で立候補した衆院岐阜1区の野田聖子氏と同5区の古屋圭司氏を支援することを決めた」と報じています。理由は「野田、古屋両氏の陣営から比例票獲得が見込めるため」というのです。

 同党の支援決定を受け、野田氏陣営は「支持者に比例で公明への投票を呼び掛けるなど、協力していきたい」と話したといいます。とうとう野田聖子も地に落ちましたね。以下に彼女の昨年参議院選挙直後、7月26日付のエッセイ「自由民主党の終わりの始まり」を紹介しておきましょう。

 「ここ数年、なし崩し的に深められてきた自公の選挙協力の結果、失われたのは自民党の存在意義ではないか、と断じざるを得ません。『選挙区候補は自民党、比例は公明党』という投票依頼の言葉に違和感を感じるうちに軌道修正を図らなければ、将来、どうなるのか。自民党が踏みとどまるべき時がきているように思います」…いよいよ野田聖子の「終わりの始まり」のようです。

 公明党という党が「キャスティングボード」を握ることを最大の目標にして自民党と連立し、権力に迎合することを通じて自分たちの意を通し、それを「公約実現力」と称して有権者に売り込むという姑息な手段をとっていることは周知の事実ですが、これはつまり「取り引き」なのですね。

 「取り引き」というものはどんなに言い繕っても、国民不在なのです。選挙のときの訴えとその後の行動に食い違いが生じるのです。だって「取り引き」…つまり「取る」ところと「引く」ところがあるんですからね。だから公明党はもう「平和の党」でもなければ「福祉の党」でもなくなりました。そして池田大作氏がいくら「権力とのたたかい」なんてリキんでみても空しく響くばかりです。自分たちが「権力」なんだから…。

 ではもう一人「キャスティングボード」を語る政治家をご紹介しましょう。「連立政権に入ることができれば、そのなかでキャスチングボードを握れます。私は政権交代が必要と思いますが、政界再編が今後あるでしょうし、民主党はたぶん他の政党と連立せざるを得ない状況になるでしょう。そのとき、昔の『自社さ』政権の時の社民党やさきがけのように、人数が少なくとも政策に大きな影響を与えることができるのです。私はそういうことも見越して、社民党という立場を選びました。」

 辻元清美氏のホームページ8月29日付のエッセイです。ほらね…この人「自社さ」時代がよかったって言ってるでしょ…まあ、この際はっきりさせておきましょう。

 「自社さ」政権というものは1998年6月に社民党が自民党との政権協議を破棄して崩壊するまで「閣外協力」も含めて続きました。この間に、消費税は3%から5%に引き上げられ、1997年には、後に私たち日本共産党とともに社民党も反対した「周辺事態法」のもとになった「日米防衛協力のための指針(日米新ガイドライン)」が合意されたのです…。

 民主党との連立政権に入ってキャスティングボードを握る。昔の『自社さ』政権の時のように…「私はそういうことも見越して、社民党という立場を選びました」…辻元氏と社民党は民主党政権における公明党をめざしたいようです。

 ね…私が「信用しない」って言った意味がわかったでしょ? 

 
 
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