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「京橋駅空襲被災者慰霊祭」に参列した後、福島区へ

 今日は「第51回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われ、今年も参列させていただきました。この法要は60年前の今日、つまり終戦の前日、大阪砲兵工廠を爆撃した米軍のB29が京橋駅にも1トン爆弾を投下し、一瞬にして数百人のかたがたが瓦礫の下に押しつぶされて亡くなったという「京橋駅空襲」の犠牲者を慰霊するため、JR京橋駅や「妙見閣寺」様、またご町内のみなさんのご尽力で続けられてきたもの・・・。今年で51回目を迎えました。

 私はこの間、毎年参列させていただいています。昨年の法要の時に感じたことは昨年大阪民主新報に書いた「書評」(このホームページの[2004/09/09]の「こぼれ話」にあります。http://www.miyamoto-net.net/column/talk/1094733278.html参照)でもふれました。

 毎年、京極さんという自民党の府会議員と私の二人だけが政治家としての来賓です。京極さんはその大空襲の体験者で、数少ない生存者。毎年当時のことを生々しく語られます。60年前の今日、高津中学2年だった京極さんは、警戒警報が出されて「授業は打ち切り帰宅」となったそうです。

 「近くの子どもはいいだろう、私のような電車でかよっていたものは、危険な中を電車で帰らなければならない。当時の教育というものはそんなひどい一面があった」とも語られました。また、防空壕に逃げ込もうとしたとき、兵隊に防空壕を追い出された経験にふれて、「戦争の最中、逃げまどうものは自分のことしか考えられなくなっていた」とも語られました。

 事実は何よりも雄弁です。おっしゃるとおり、それが「大東亜戦争」というものの真実だったのです。自らの体験に真摯に学べば「戦前の教育にもいいところがあった」とか「大東亜戦争は当時の人たちは純真な気持ちでたたかったのだ」などという余地はないはず・・・

 法要終了後、「慰霊祭世話人会」のみなさまや「城東区9条の会」のみなさまとごいっしょに京橋駅でマイクを握り「60年前、この駅前で起こったことを知って下さい。そしてそのような悲惨なことを二度とくり返させないためにも、憲法9条を守りましょう」と訴えました。

 喪服をスーツに着替えて、福島区へ。総選挙、衆議院大阪第4区でお世話になる長谷川良雄さんの奥さんや2年後のいっせい地方選挙、市会予定候補として活動する清水ただしさんとご一緒に、「しんぶん赤旗」のおすすめや街頭演説にたちました。

 今日の「しんぶん赤旗」のおすすめはパーフェクト。「聖教新聞」販売所のご近所のお宅も含めて、おすすめに行ったところは100%購読を快諾して下さって、いよいよ選挙で日本共産党へのご期待が高まっていることを実感しました。日刊の赤旗を2軒で週刊の日曜版を3軒でご購読いただきました。

 野田阪神北側・ジャスコ前の街頭演説では、急きょ清水さんお得意の「掛け合い」・・・「今日は、前参議院議員の宮本たけしさんが、駆けつけて下さってます。では私のほうから、宮本さんにいくつか質問を・・・」てなことで・・・おいおい事前に言うとけよ。

 このまた質問がマニアック・・・「私なんかもよく『北朝鮮が攻めてきたらどうするんや』なんて訊かれるんですけどね、宮本さん、日本共産党のお考えはどういうものか、この機会にひとつビシッとお聞かせいただけますか」なんちゅうボールをバンバン投げてくる・・・そりゃまあスラスラ答えましたけどね・・・終わった後「お見事でした」って、そりゃなんじゃい!

 
 
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