滋賀県湖北町まで行き特定郵便局長さんと懇談、さすがに遠かった
今日は特定郵便局長さんと懇談するために、滋賀県湖北町まで行きました。川内たかし滋賀県委員会書記長や千田敏彦湖北町議とご一緒に、特定郵便局長さんを訪問して懇談。郵政民営化法案をめぐる国会の情勢や民営化法案の問題点などについて私からも説明して意見交換。国民の財産を日米の金融大企業に差し出す、民営化は「百害あって一利なし」という認識で意気投合しました。
日本共産党は「郵政公社法案」にも反対を貫いた党です。それは当時小泉首相が「郵政公社化は民営化への一里塚」だと公言してはばからなかったように、あくまで「郵政公社化」というものは郵政民営化への第一歩にほかならなかったからです。私は当時の片山虎之助総務大臣にそのことを指摘し迫りましたが、片山氏の答弁は「公社化は民営化などとは全く別物であり『一里塚』などでは断じてない」というものでした。しかし、今日の事態を見れば、どちらが正しかったかは、もはや決着がつきました。
「日本共産党が党として、いっかんして郵政民営化反対を貫いてくれていることはよくわかっている。一番スジの通った党だ。国民にもそういうスジのとおった共産党の姿はきっと伝わっているはず。ぜひがんばって欲しい」と激励していただきました。時間がオーバーするほど話がはずみ、郵便局を後にしました。
長浜まで来たついでに、ちょっと長浜城や長浜港を見て回りました。長浜城は秀吉ゆかりの城。織田信長が浅井長政の居城、小谷城(おだにじょう)を攻めたとき、横山城を守る木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は大活躍しました。天正元年(1573)9月、浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられ、 羽柴秀吉と名乗り、はじめて城持(しろもち)の大名に出世しました。翌年、今浜が交通の要衝であると考え、お城を造り始めました。天正3年秋頃、お城が完成すると地名を今浜から「長浜(ながはま)」に改め、秀吉は小谷城から家族とともに移り、天正10年(1582)まで住んだのです。なかなか風格と由緒ある城でした。
長浜駅まで戻ってみると、駅前から拡声器を使った宣伝の声が…行ってみると長浜市の「9条の会」の宣伝・署名行動。私が「ごくろうさま」と声をかけて署名すると、「あの〜共産党の国会議員だった宮本さんですか?」と声をかけられ「はいそうです」…みなさん寄ってこられて握手。「それじゃあ、私もしゃべりましょうか」っていうんでマイクを握って署名へのご協力を訴え。「9条の会」のみなさんもたいそうよろこんで下さいました。
その後、長浜駅から「新快速」に乗って帰阪。しかしみなさん、「長浜」ってどこにあるかご存知ですか?湖北っていうのは滋賀県の北の端、ひと山越えれば、そこはもう福井県です。だって大阪からいくと米原よりさらに先なんですよ…そうとも知らず行ってはきましたが、まあちょっとした国内旅行でしたね。
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