【宮本議員の実績】 公務災害の認定
公務災害の認定 かたくなに拒む補償基金 原告励まし、国会で追及 他党はどこも取り上げず
90年秋、学校からの帰宅途中に倒れたまま帰らぬ人となった堺市の元小学校教員、鈴木均さん(当時36歳)の公務災害認定裁判で、大阪高裁は1月30日、原告側逆転勝訴の判決を下しました。
妻の和子さん(46)が、地方公務員災害補償基金大阪府支部に公務災害認定を申請したのは91年秋。7年余りもかけて98年に基金が出した結論は公務外認定でした。その取り消しを求めていた和子さんの主張をしりぞけた一審判決をくつがえし、大阪高裁が鈴木先生は過重な公務による脳こうそくで死亡したと認めたことで、亡くなってから14年目にしてやっと、先生の死は過労死だと認められたのです。
「同僚や子どもたち、保護者など周りの人がみんな過労死だと言ってくれているのに、何も知らない基金が書類の提出だけ求めてなぜ判断できるのかと思ってきた。基金は判決を重く受け止めて上告せず、これからの認定について正しい判断を早急にできるようにしてほしい」。判決後の記者会見で和子さんは、こう語りました。
この日、中之島で開かれた報告集会に駆けつけた日本共産党の宮本たけし議員は、原告の和子さんや支援者と勝訴判決を喜びあうと共に、2日には、上京した堺市教組代表らと基金本部を訪ね、判決を認めて上告しないよう要請しました。 鈴木先生の死を公務災害と認めない基金の姿勢を国会で唯一追及したのが宮本議員でした。
宮本議員は02年秋の臨時国会の総務委員会で、前年12月に労働災害と公務災害の認定基準が改正され、民間では労災認定に踏み切ったり、係争中の案件でも企業側が取り下げるケースが出ているにもかかわらず、公務災害認定にかかわる基金にはまったく改善がみられないことを、鈴木先生の事例をあげて厳しく指摘しました。
このほかにも、上司が過労死と認めているのに基金が否定していた和歌山県橋本市職員の辻田豊さんの過労自殺問題、最高裁判決にも反して、頚肩腕障害が公務外認定された神奈川県の保育士・岡野三重子さんの例をあげ、公務災害補償制度が、「本当に救われるべきものが救われるものになっていない」とし、改善を求めていました。
また堺市の学校給食調理員だった北谷喜美子、丹南敏子、辻岡よし子3氏が、変形性手指関節症(通称「指曲がり症」)の公務外認定取り消しを求めていた裁判で、大阪地裁に続いて昨年2月、大阪高裁が原告側勝訴の判決を出した際も、宮本議員は原告3人とともに東京の地公災基金本部を訪れ、「職員の救済機関である本来の役割を発揮すべきだ」と二審判決を認めるよう求めました。
こうした中で基金大阪府支部は上告を断念、3人の公務災害が認められ、12月17日には宮本議員が国会で紹介した辻田さん、岡野さんも公務上認定。そして鈴木先生の問題も司法は公務災害と認めたのです。 大阪自治労連労働安全衛生対策部長の久保貴裕さんは、「他党はどこも取り上げてこなかった公務災害問題を、遺族や自治体職員などから実情を詳しく聞いて国会で質問してくれたのが日本共産党の宮本議員でした。国民にほとんど知られていなかった公務員の労働実態を明らかにしていただいた点でも、私たちはこの質問を胸のすく思いで聞きました。職員削減による長時間過密労働などでますます公務員の健康破壊がすすむ中で、これからも自治体労働者の声を国会に届けていただきたいと思います」と話します。 宮本議員は次のように言います。
「私が国会で取り上げた3つの事例が、多くの方たちの運動で公務災害と認められたことはとてもうれしいことです。今回の鈴木さんの場合は、亡くなってから公務災害と認められるまで14年もかかっています。生きて返してほしいとさえ思っている遺族にたいして、基金が上告することは絶対あってはなりません。地方公務災害補償制度を本当に人を救うものに改革すると共に、公務災害が起こらない職場にするためにも、教職員や自治体労働者の皆さんと引き続き力を合わせて頑張ります」
【写真】勝利報告集会であいさつする宮本たけし参議院議員
(大阪民主新報 2004年2月8日付)
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