【宮本議員の実績】 バリアフリー社会実現めざして
バリアフリー社会実現めざして 踏み切り事故では必ず現地調査、再発防止へ
[阪神オーナーに“直談判”] 昨年11月、大阪市内のホテルで開かれた阪神タイガースのセ・リーグ優勝祝賀会に招待されて参加した宮本たけし参議院議員。この日の目的は3年連続盗塁王となった赤星選手の“応援”でした。
というのも同選手は、今シーズンの自身の盗塁数に応じて41台の車いすを身障者施設に寄贈。それだけでなく、甲子園球場内の車いす専用席の増設や、車いすが入場しやすいよう入口付近の改築を球団側に求めていたのです。
赤星選手のこうした活動に共鳴した宮本議員が“直談判”に行ったのが祝賀会でした。国会議員としてただ一人指名され、久万オーナー、星野前監督、岡田新監督らと鏡開きしたあと、宮本議員がオーナー、野崎球団社長に赤星選手の願いに答えるよう要望すると、「赤星選手の社会貢献活動は高く評価したい。ぜひとも思いを受け止めたい」(野崎球団社長)との返事が返ってきました。
[体をはった調査を重ね] 青年時代からボランティアで障害者運動にかかわってきた宮本議員にとって、障害を持つ人も持たない人も安心して生活できるバリアフリー社会の実現は、特に力を入れてきたテーマでした。
99年秋、JR天王寺駅で、視覚障害を持つ車いすの男性がホームから転落しそうになったことがありました。ホームが線路側に、法律で決められた数値以上に急傾斜していたため、ブレーキをかけていなかった車いすが徐々に移動。目が見えない男性は気付かず、ホームから転落寸前の20センチ手前で近くにいた客に助けられました。男性は大正区に住む千崎東亜雄さん(59) 。「助けてもらっていなかったら、線路にそのまま転落し、僕はどうなっていたかわかりません」と当時の状況を思い出しながら、緊張気味に話します。この話を聞いて早速、現場に駆けつけたのが宮本議員でした。
「宮本さんは線路側を背にして、『ぶつかってもいいから手を放してください』と言って、スルスル動いていく車いすを自分の体で受け止めてくれました。危険性を知るために体をはって調べてくれたんです」と振り返る千崎さん。この問題をきっかけにJR西日本大阪本社はホームの落差の改善を約束しました。
[転落防止の幌の設置も] 同年、南海電鉄で視覚障害者が列車の扉と間違えて連結部分に転落する事故があった時も、宮本議員は転落防止の幌の設置を電鉄会社に要請。幌は現在、南海、阪急の全列車に付けられています。昨年1月、近鉄大阪線俊徳道駅付近の踏切事故で車いす女性が死亡した際には地元党府議、市議らと現地調査し、近鉄側が安全対策工事を約束。
府内で起きた障害者の踏切死亡事故では、宮本議員は必ず現地調査、再発防止のために鉄道会社や国土交通近畿運輸局に改善を求めてきました。
日本共産党が国会でいち早く制定を求めてきた「交通バリアフリー法」は00年11月施行され、交通事業者に旅客施設や車両などのバリアフリー化を求めましたが、法案審議の中で宮本議員は、長年の自民党政府による大企業本位の街づくりのもとで、交通バリアフリー化の整備が立ち遅れてきたと指摘し、「高齢者、障害者等が社会参加をしていく上で、移動の自由と安全を確保することは不可欠であり、基本的人権」と主張しました。
施行後も、宮本議員は府内私鉄全社のバリアフリー状況を独自調査。各駅へのエレベーター、エスカレーター設置問題では、地元党組織や市議団などと一緒に各電鉄会社と交渉してきました。
「ニュースに字幕放送を付けてほしい」という聴覚障害者の長年の要求を何度も国会で取り上げ、02年3月に日本初の生放送の字幕化が実現、寝たきりの患者・障害者や視覚障害者の参政権保障に力を注いでたのも、バリアフリー問題に力を注いできた宮本議員ならではの実績です。
宮本議員は言います。 「育った岸和田市で障害者運動にかかわる中で、日本共産党に入党した私にとって、『障害者の全面参加と平等』は党員としての原点です。私が国会で取り組んだ『バリアフリー法』の質疑でも、政府は最後まで『移動の自由は基本的人権』ということは認めようとしませんでした。障害者の基本的人権を守れない社会では、結局すべての人の基本的人権も守られません。すべての人の人権が守られる社会へ、今後も全力を尽くします」(大阪民主新報 2004年2月15日付)
【写真上】阪神の優勝祝勝会
【写真下】踏切事故現場の調査
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